痛覚

 誤解を恐れず書けば、私は刃物も高いところも大好きである。
 とりあえず、手を見ると無数(は大げさだが数十)の傷痕が認められる。切れると痛いので当然注意して使う。怪我をするのはたいてい寝不足や不注意、正しくない使い方をしたときに限られる。

 最初の切り傷は小学校1年の夏休み、初めて使ったカッターナイフで割り箸鉄砲を作っていた時。正しい使い方も知らずに自分の方へ向けて削ったら手を滑らせ、左手親指に刃がぶち当たった。数瞬後、血が珠になって盛り上がり、流れ落ちた。痛みより驚きで泣き出し、病院へ連れて行かれた。縫わなかったからそれほどひどい怪我ではなかったのだろう。父親は別にカッターナイフを取り上げたりせず、「刃物を自分の方に向けて使うと危ない」と言っただけであった。この件については今も感謝している。現状(工具箱の中のナイフの数々)を見たら頭を抱えるかもしれないが・・・。

 その後、何度も何度も怪我をした。主に工作をしているときである。元々粗忽者だからであって、普通の人間ならばこれほど怪我はしないだろう。それはともかく、「傷の数だけ」身をもって刃物の使い方を憶えたと思う。切り傷の処置もいい加減に慣れてきた。切れると痛くて血が出るのが当たり前なのだから。

 知人の中学校教諭(技術)が、新一年生に生活体験のアンケートを取ったそうである。

 刃物で怪我をしたことはありますか?

 ・・・経験者が3割だそうである。たったこれだけ、と見るか、こんなに、と見るか。本当に情けなくなってきた。

 先日、第3号(台風である。念のため)が荒れ狂ったとき、学生時代の友人達と、未だ不穏な岩手山の麓、岩手高原ペンション村に泊まりがけで飲み会に行った。帰途、小岩井農場近く、倒木が道に大きく張り出している。危ないので撤去することにする。住居が岩泉の山中なので車中に鉈は常備している。直径5cm程の枝を数本払えば事は足りる。作業開始。おうおう、研いだばかりだから良く切れるわい。・・・油断した。切り払った後、斜めの枝に当たり方向が変わった鉈が膝頭に・・・。殆ど勢いは死んでいたが、こつんとぶつかった感触だけはある。見るとペインターパンツの丈夫な生地が5cm程綺麗に切れている。ということは当然その下も?内心舌打ちをしつつ残りの枝も払い終える。膝頭が生暖かく、脛が濡れる感触がある。車中に戻り、ズボンをまくるとやっぱりぱっくり切れている。骨にも当たったかも知れないな。幸い刃は欠けていないようだ。救急絆創膏で傷口を寄せて貼り付け、ちり紙で押さえつつ、上田の病院に車を走らせる。痛みはあまり感じない。駐車場から受付まで歩く内に傷口からの出血がまた始まったようだ。受付から今度は裏の救急入り口へ。しばらく待って治療開始。洗浄、消毒、麻酔、縫合・・・見えないとかえって不安なので、最初から最後までじっくり観察させてもらう。さぞお医者さんもやり辛かったことであろう。結局5針の傷であった。後の経過は順調であった。大して痛まず、痒さのみ記憶に残っている。手足の末端とそうでない場所では痛みの感じ方が違うのかも知れない。

 その後しばらくして、海の日。国道455号線を通って盛岡に買い物に行く。早坂高原を過ぎてまもなく、橋の欄干に車が突っ込んでいる。ああ、また事故か・・・と思いつつ脇を見ると、血を流した家族が横になっている。さすがに放ってはおけない。近くの空き地に車を停める。何台かの車が停まり、既に 救急車は呼ばれたらしい。交通整理をしている人もいる。運転していたらしい母親は胸を痛め横になって起き上がれないようだ。助手席の父親は鼻血を流している。後部座席の女の子の1人は頭に傷を負い、「痛いよ、死んじゃうよ」と訴えている。もう一人の女の子も、顔が半分腫れ上がり、事故の時の記憶が飛んでいるのか「何があったんですか?」と聞いてくる。みんなシャツには血がにじんでいる。無責任なようだが、大きな出血も無く、出血はあっても止まっているようなので、失血死の心配は無いだろう。首を痛めている可能性があるので下手に動かすことはできない。救急車を呼んだとのことだがこの場所では4〜50分はかかるだろう。とりあえず氷を買ってきて冷やしてあげるくらいしかできない。みんなむち打ち状態らしく首の痛みを訴えている。せっかくの休日、県外からの観光のようだが散々な目にあってしまったのだな・・・。

 状態は母親が一番大変そうだが、最年少の女の子(それでも20代だろう)が一番苦痛を訴えて「死んじゃう」と繰り返している。無力感に襲われる。こういう場合、何と言ったら良いのだろう?頭の中では色々考えるのだが、口から出てくるのは「もうちょっとで救急車が来るから頑張って、大丈夫だから」という言葉ばかり。嘘だ。まだ20分以上かかる。こんな時「喋ると余計に疲れるよ」だなんて、とてもじゃないが言えない。

 結局、事故発生から1時間近くして救急車到着。救急隊員曰く「命に別状はない」とのことでとりあえずほっとする。事情聴取も済んで盛岡へ向かう。道中の運転はいつにも増して慎重だったのは言うまでもない。

 この時考えたのは、絆創膏で何とかなるような怪我はとりあえず放っておいても大丈夫、身動きできないような怪我にいかに対処するか、ということだった。気休めかも知れないが、アウトドアショップで空気圧式の止血バンドとギプスを購入する。明日は我が身、である。

 膝の傷はその翌日抜糸。怪我から12日後、綺麗にくっついた。こんなものは軽傷なわけだ・・・。


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